ご支援のお願い

新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急募金
「逆境を、創造を灯す光に」
-学生支援の拡充に皆様の力をお貸しください-

学校法人津田塾大学理事長 島田 精一

津田塾大学学長 高橋 裕子

一般社団法人津田塾同窓会会長 飯野 正子

理事長 島田精一 学長 高橋 裕子

【近況のご報告】
 本学では、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、2月25日に新型コロナウイルス対策本部を立ち上げ、オンライン授業の導入、並びに感染拡大抑止に向けたテレワークの推進など緊急措置を多々講じてまいりました。さらに緊急事態宣言を受けて、学生、教職員に対してキャンパスへの入構制限も設け、基本的にはキャンパスの封鎖という、これまでに経験したことのない対応も実施しているところでございます。

 学生の生活環境も一変しました。アルバイト収入の激減などで日々の生活に困窮する声が大学に多数寄せられています。なかには家計急変で修学の継続が困難になったという訴えまであります。未曽有の社会変動の余波を受け、学業を断念せざるを得ない学生を決して出さないよう、本学として全力を尽くしたいと考えております。

 「Tsuda Vision 2030」で謳った教育のビジョン「自ら考え行動する力、多様な他者を理解し包摂する力を確実に養うために、すべての学生に『質の高い、濃い時間』を約束する」が、今まさに問われています。この約束を果たすために、本学は経済的に困窮している学生に、より手厚い支援を提供します。それは、本学が誇りとしてきた「多様な学生集団の中ですべての学生が学べる環境」を維持していくためにも必要な支援であると考えております。キャンパスに入構できない状況であっても教育の機会を保障すべく、質の高いオンライン授業を提供することも、この約束を果たすことにつながります。

そこで、まず授業料延納の措置や国の修学支援制度について学生に周知するとともに、新型コロナウイルス感染拡大の対策事業として総額6,000万円を大学として財政支出し、下記のような措置をとることを決定いたしました。

1.「緊急時対応奨学金の拡大」
すでに本学では経済的困窮度の高い学生を優先して手厚い支援を行う当奨学金がありますが、そのうちの「返済不要の給付型奨学金1人20万円」の対象者数を拡大します。

2.「すべての学生に対する質の高いオンライン授業の確かな実施」
パソコンや通信環境が不十分な学生に、機器を無償貸与します。全学規模で初めて展開するオンライン授業に取り残される学生が出ないよう、アンケート調査をした上で、ニーズがあるところに確実に機器を届けるきめ細やかな支援をします。


【皆様へのお願い】
 新型コロナウイルスの感染拡大による経済活動や社会生活への影響は、その規模、終息時期とも全く先の見えない状況です。経済的支援が必要な学生数も明確にならない状態が続くことも予想され、大学独自で準備させていただく総額6,000万円を超える部分に、教職員や卒業生をはじめとする個人、法人、団体の皆様からのご厚志をいただければ、ありがたく存じます。

 新型コロナウイルスの感染拡大は、瞬く間に全世界を暗闇に陥れました。渦中の私たちも大きな不安や恐怖の中におかれながらも、政府や文部科学省から発信される情報に対応すべく日々様々な対策に追われております。しかし、本学の120年の歴史を振り返ってみれば、津田梅子をはじめとする多くの先人たちも幾多の苦難に立ち向かい、時にピンチをチャンスに変えるたくましさで難局を乗り越えてきたことが思い起こされます。

経済的支援を海外に求めざるを得なかった女子英学塾創立。関東大震災による五番町校舎の全焼。津田梅子の盟友アナ・ハーツホンが牽引した日米女性による震災復興募金で実現した小平キャンパスの創設。第二次世界大戦下における塾存亡の危機を救ったのも、理系学科の創設でした。さらに戦後の「津田英語会」からの大学への手厚い支援等々、津田塾大学が「支援の循環」に支えられて今日ここにあることに改めて気づかされます。その循環を紡いできた卒業生、教職員、理事、監事、評議員を始めとする支援者、保護者の皆様への深い感謝と敬愛の念とともに、「Tsuda Vision 2030」のミッションステートメントを想起いたします。

  弱さを、気づきに。

  強さを、分かち合う力に。

  不安を、勇気に。

  逆境を、創造を灯す光に。

 いま困難の渦中にいる学生たちを支援することは、とりも直さず、この危機を乗り越え、より良き未来のために変革を担う女性たちを応援することに他なりません。支援を受けた学生たちは、支援を循環させていく未来の世代へと成長していくことでしょう。

 津田塾大学のすべての学生が「逆境を、創造を灯す光に」変えていけますよう、皆様の厚いご支援とご協力を賜りたく、お願い申し上げます。



【津田塾大学史より:「支援の循環」で危機を乗り越えた一つのエピソード】

これらの写真を見るとき、「津田スピリット」とともに“resilience”という言葉が思い出されます。まさに、苦難から立ち上がる力です。関東大震災後、ハーツホンが募金のために米国に戻ったのは、彼女が63歳のときでした。

五番町の校舎と関東大震災で灰燼に帰した校舎。
五番町校舎。関東大震災の翌日、吉川利一幹事の塾日誌には、「9月2日午前1時半本塾全焼」と記載。

津田梅子、新築された小平キャンパス本館、アナ・ハーツホン 津田梅子の盟友アナ・ハーツホンが牽引した日米の支援者による震災復興募金で実現した小平キャンパスの創設。(写真左:津田梅子 中央:小平キャンパス本館 右:アナ・ハーツホン)

120年間、津田塾の学び舎から、3万人余の卒業生を輩出し、数々の「変革を担う」女性たちが多様な分野で活躍しています。この「長い列」に続く未来の世代にぜひサポートを!


小平キャンパスと千駄ヶ谷キャンパス
小平キャンパスと千駄ヶ谷キャンパス